中国で高齢不妊治療する日記

中国での不妊治療と生活いろいろ

私が中国に住んでいる理由2

こんにちは、hukuhukuです。
今日は「私が中国に住んでいる理由1」の続きをお話したいと思います。


ちなみに、ここ何日かは毎日ブログの更新ができていますが、それは今が大学の冬休みだからです(*´∀`*)あと何日かで新学期が始まるので、その後はできるだけ毎日更新を目標にして書いていきたいと思います。


三日坊主になりませんように…(笑)


さて、北京で半年の留学延長を決めた私でしたが、その半年も勉強したり、旅行に行ったり、中国の学生と相互学習をしているうちにあっという間に過ぎてゆきます。そして、もうすぐ1年という頃、私の頭の中に一つの思いが浮かんできました。


「どこか都市部ではないところで生活してみたい」


そこで思いついたのは、その年の夏休みに旅行に行っていたある場所でした。大昔の中国の首都であり、長い歴史がある地域。そして、旅行の際に訪れていた歴史ある大学。


「そうだ、あそこに決めよう!」


この時はなぜか自分の中でストンと気持ちが決まり、即行動に移しました。この地域こそ、私が今でも住んでいる場所であり、この大学こそが今の私の勤務先です。


そこから、場所を変えての第二の留学生活がスタートすることになります。


留学生活というのは、場所を変えても、基本的には大きく変わりません(もちろん北京にいたころに比べると各種不便なことは増えます)。ただしこの場所に来て、1つ大きな変化がありました。


それは「彼氏ができた」ということ(日本の彼氏とは、留学の延長を決めた時点でお別れしていました)。
そして「その彼氏が結構本気で結婚を考えている」ということ(笑)


このひとはもちろん今の旦那くんで、前記した彼の妹が私たちのキューピットとなりました。


しかし、話はそれほど簡単ではありません。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、中国は完全なる「共働き」社会であり「学歴社会」です。セレブであるという以外では、「働いていない=働く能力(学歴)がない」とみなされる社会です。日本とは完全に異なり、働いていないもしくは専業主婦だというと、普通に「えー!なんで??」と言われます。


「2人で稼いだほうが効率がいい」という考え方なんですね。


そのため仕事を持つことは必須になりますが、ヘタレの私は、ただでさえ競争の厳しい中国の民間企業でバリバリやっていく自信はありませんでした。そこで考えたのは、のんびりやっている(ように見えた)彼氏と同じ職業に就くこと。


しかしそれには学歴が足りなかったため、ここから私は大学院に進学し修士→博士と進んでいくことになります。その結果、「なぜ、不妊治療をしているのか」ということにもつながりますが、40歳でようやく入籍ということになります。


ここで、もしかすると「子どもだけ先に作ればよかったのに」「結婚は先にすればよかったのに」と思われる方もいるかもしれませんが、ここは中国事情と関係します。


先ほども書いたように中国で働かない(働けない)ひとは、大変肩身の狭い思いをすることになります。さらに、中国で結婚すると結婚ビザで中国に住むことはできますが、収入を得るためには就労ビザが必要になります。そのため、そのへんでアルバイトをする、小さな企業で働くという選択肢はないのです(ビザを出してもらえないので)。私は「仕事が見つからず、肩身の狭い思いをしてまで異国で結婚する」という踏ん切りがつきませんでした。


また子どもに関しては、中国では籍を入れていない&マンションを持っていないと子どもの戸籍が取りにくい(場合によっては取れない)という状況があります。


これらの理由から、先に中国で生活をしていく目処をつける→40歳を過ぎての子作りスタートとなったわけです(もちろん、中国での自立、学業、仕事を優先して子どもについてあまり考えてこなかったという自分の考えの甘さもあります)。


では長くなってしまったので、次回は「不妊治療をはじめたきっかけ」についてお話したいと思います。お付き合いありがとうございました♪

登場人物と自己紹介

みなさん、おはようございます。hukuhukuです。


今日は「私が中国にいる理由2」の前に、私も含めた、今後ブログに登場するであろう主な人物を簡単に紹介したいと思います。


私(hukuhuku)
東京生まれの東京育ちで、親族みな東京都出身&在住。
そのため、海外はもちろんほかの地域で生活することは想定外でした。
野良猫ボランティアなどをしている両親の影響で、幼い頃から小動物が大好きですが、信頼できる獣医さんが見つからない、帰国の時に安心して家族に任せられない等の理由から、今の家ではペットは飼っていません。
性格的にはとんでもないポジティブとネガティブが同居(笑)
実は大変短気な性格を、隠しに隠して「優しい先生」という評価をいただいている要領の良さは父親譲りです。


旦那くん
中国生まれの中国育ち。生まれた省から大学進学も含めて一度も出ておらず(旅行、出張は別)、もちろん日本語はできません。1歳年上。
私と同じく(というより旦那くんが先)大学で教員をしており、専門は体育学科の中国武術。私たちは学部は違いますが、同じ大学勤務です。
あまり豊かではない農村地区出身で、自分の努力で大学教員になったので努力至上主義で完璧主義。亭主関白に憧れる、虎の皮をかぶった猫という感じ。ちなみにバツイチ。


子ども
「不妊治療をしているのに子ども??」と思われたかもしれませんが、私の実子ではなく旦那くんの連れ子です。男の子で高校受験真っ最中。そして、反抗期真っ只中。
彼とは7歳の時から一緒に住んでいます。
不妊治療中ということからも分かると思いますが、私にはまだ実子がいないため、実子と連れ子の違いはよく分かりません(笑)
「目に入れても痛くないほど可愛い!!」とは思っていませんが、家族です。
成績と身長が伸び悩み中。


旦那くんの妹
バリキャリ(この言葉ってすでに死語ですか?)で首都にある大学で勤務。
ものすごく気が強く、ものすごく仕事のできる、theキャリアのある中国人女性!という感じ。私とは親友であり、お互いに良き相談相手です。
付き合っている彼氏はいますが、いろいろありまだ未婚です。


こんな感じの人たちが今後登場してくるかと思います。
どうぞこれからもよろしくお願いします(*´∀`*)

私が中国に住んでいる理由1

みなさんこんにちは。hukuhukuです。
何人かの方々に記事を見ていただけたようで嬉しいです(´∀`)


ちなみに名前のhukuhukuは実家で飼っているうちの猫から名前を拝借しました(ΦдΦ)
生後3ヶ月くらいで、なぜかドロドロになって外をさまよい歩いているところを保護した子です。(もちろん、各種手段で半年以上飼い主さん探しをした後に飼うことを決めました)




今回は、なぜ私が中国に住むことになったのかというお話をしたいと思います。
と言っても、特別な理由があるわけでもありませんので簡単に説明させてください。


さて、私が中国に来たのは2011年33歳の時、かるーい気持ちで留学に来ました。
その頃、長年勤めていた会社を辞めて転職をするつもりだったのですが(転職先も決まっていたし、同棲している彼氏もいました)、ちょうど転職する間の時間が半年ほど空いたんですね。


そこで考えたのが半年間留学にいくこと。
ただ、決して勉強や自分磨き、スキルアップのためではなく、息抜き、自分へのご褒美、人生の夏休みという感じでした。


正直行き先はどこでも良かったのですが、半年という短期なこと、近場で比較的費用が安いこと、同じ漢字圏だから言葉もなんとかなるかなぁという甘い気持ちから留学先を中国に決めました(言葉に関しては大きな間違えで、後に苦しむことになります(笑))。


この時点での私の中国語は完全なるゼロスタート。中国に渡航する時点で「ニーハオ(こんにちは)」「シェイシェ(ありがとう)」しか知らなかったので、留学先は日本人が多そうな北京の有名大学を選択しました。


後に考えると、当時のこの選択は正解だったと思います。
北京には日本人学生を含む日本人がたくさんいて、また日本人コミュニティも多数あります。実際に私が行った大学には「日本人会」があり、先輩が(と言っても歳は私のほうが上)入学時の手続きをサポートしてくれたりします。


中国に着いた時点で中国人のぶっきらぼうさに初めて直面した私は(無謀なことに、この留学が中国ほぼ初上陸(笑))、言葉も分からなかったので、このようなサポートがなかったり、全く日本人がいない環境だったら泣いていたかもしれません。


その後、いろいろな方からのさまざまなサポートもあり、無事留学生活をスタートさせることができました。


ただし!言葉にはほんっっっっとうに苦労しました。
私は「中国語ができなくても、大学ではクラス分けがあるから、自分のレベルにあったクラスでのんびりやろう」と思っていたんです。
しかし運の悪いことに、私の留学した年にはたまたま中国語ゼロのアフリカ系の留学生が多かったんです。そして、クラス分けテストでは「漢字を見たことも書いたこともないアフリカ系留学生」がたくさんいたために、「母語に漢字がある日本人留学生」の成績が底上げになってしまい、なんと私は中級班に振り分けられてしまいました。


そこからは、「人生でこんなに勉強したことない!」というレベルで勉強する日々(笑)
これは、後に大学の教員になってしまったため今でも続いています…。


そんなこんなで北京時代にもいろいろなことはありましたが(いろいろなことは、今後少しずつ記事にしたいと思います)予定の半年間はあっという間に経過。そして、その時の私の感想は「ぜんっっっぜん足りない」というものでした。


そこで、私は留学の半年間延長を決意します。
それと同時に、日本での条件が良かった転職の話はうやむやになってしまいます。ちなみに同棲していた彼氏との関係も微妙に…。


長くなったので次回2に続きます。