中国で高齢不妊治療する日記

中国での不妊治療と生活いろいろ

私が中国に住んでいる理由1

みなさんこんにちは。hukuhukuです。
何人かの方々に記事を見ていただけたようで嬉しいです(´∀`)


ちなみに名前のhukuhukuは実家で飼っているうちの猫から名前を拝借しました(ΦдΦ)
生後3ヶ月くらいで、なぜかドロドロになって外をさまよい歩いているところを保護した子です。(もちろん、各種手段で半年以上飼い主さん探しをした後に飼うことを決めました)




今回は、なぜ私が中国に住むことになったのかというお話をしたいと思います。
と言っても、特別な理由があるわけでもありませんので簡単に説明させてください。


さて、私が中国に来たのは2011年33歳の時、かるーい気持ちで留学に来ました。
その頃、長年勤めていた会社を辞めて転職をするつもりだったのですが(転職先も決まっていたし、同棲している彼氏もいました)、ちょうど転職する間の時間が半年ほど空いたんですね。


そこで考えたのが半年間留学にいくこと。
ただ、決して勉強や自分磨き、スキルアップのためではなく、息抜き、自分へのご褒美、人生の夏休みという感じでした。


正直行き先はどこでも良かったのですが、半年という短期なこと、近場で比較的費用が安いこと、同じ漢字圏だから言葉もなんとかなるかなぁという甘い気持ちから留学先を中国に決めました(言葉に関しては大きな間違えで、後に苦しむことになります(笑))。


この時点での私の中国語は完全なるゼロスタート。中国に渡航する時点で「ニーハオ(こんにちは)」「シェイシェ(ありがとう)」しか知らなかったので、留学先は日本人が多そうな北京の有名大学を選択しました。


後に考えると、当時のこの選択は正解だったと思います。
北京には日本人学生を含む日本人がたくさんいて、また日本人コミュニティも多数あります。実際に私が行った大学には「日本人会」があり、先輩が(と言っても歳は私のほうが上)入学時の手続きをサポートしてくれたりします。


中国に着いた時点で中国人のぶっきらぼうさに初めて直面した私は(無謀なことに、この留学が中国ほぼ初上陸(笑))、言葉も分からなかったので、このようなサポートがなかったり、全く日本人がいない環境だったら泣いていたかもしれません。


その後、いろいろな方からのさまざまなサポートもあり、無事留学生活をスタートさせることができました。


ただし!言葉にはほんっっっっとうに苦労しました。
私は「中国語ができなくても、大学ではクラス分けがあるから、自分のレベルにあったクラスでのんびりやろう」と思っていたんです。
しかし運の悪いことに、私の留学した年にはたまたま中国語ゼロのアフリカ系の留学生が多かったんです。そして、クラス分けテストでは「漢字を見たことも書いたこともないアフリカ系留学生」がたくさんいたために、「母語に漢字がある日本人留学生」の成績が底上げになってしまい、なんと私は中級班に振り分けられてしまいました。


そこからは、「人生でこんなに勉強したことない!」というレベルで勉強する日々(笑)
これは、後に大学の教員になってしまったため今でも続いています…。


そんなこんなで北京時代にもいろいろなことはありましたが(いろいろなことは、今後少しずつ記事にしたいと思います)予定の半年間はあっという間に経過。そして、その時の私の感想は「ぜんっっっぜん足りない」というものでした。


そこで、私は留学の半年間延長を決意します。
それと同時に、日本での条件が良かった転職の話はうやむやになってしまいます。ちなみに同棲していた彼氏との関係も微妙に…。


長くなったので次回2に続きます。